1970年、私が大学1年の時、元チューリップの姫野(現オールウェイズ)と二人で
ライラックと言うグループを組んでいた。

“照和”オープンの当日音楽仲間から「照和というフォーク喫茶が開店するとばっ てん
出演するバンドが足りんけん出ちゃってんね」と言われ大学の講義が終わり
しだい二人で天神へ向かった。

その日から、ほとんど毎日、雨の日も風の日も大学の試験の日も、
必ず一日一回は“照和”に足を運んだのです。

あの地下室の小さなスペースにはまだ若かりし頃のたくさんの仲間達の
喜怒哀楽があり、毎日がお祭のような青春があったのです。

71年の夏、海援隊として東京へ行こうかどうか迷っていた時
香椎球場でのコンサートの夜、ゲストで来ていた泉谷しげる氏が音楽仲間を集めて
「俺が海援隊を東京へ連れて行く!責任をもつから」と言ってくれたのも“照和”でした。

私のプロとしての音楽活動もあの地下室から始まったのです。


                            千葉 和臣(海援隊)




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